中国共産党からの内政干渉との闘い

日中50年問題

wikipediaからのコピペ

1950年、スターリンが、中国共産党と組んで、中国式の武装闘争路線を日本共産党に押しつけようとして干渉し、党が分裂した問題。

  1950年(昭和25年)1月6日コミンフォルム(共産党国際情報局。コミンテルン解散以来初の国際共産主義運動の組織)の機関誌『恒久平和のために人民民主主義のために!』に発表された論文『日本の情勢について』で、日本共産党政治局員野坂参三によるアメリカ占領軍を「解放軍」とする規定や、占領下における平和革命論は「アメリカ帝国主義を美化し、マルクス・レーニン主義とは縁もゆかりもない」と批判

徳田球一は1月12日に一旦「日本の実情も知らずに同志(野坂)の言動を批判することは重大な損害を人民並びに我が党に及ぼす」「一見方針が親米的に見えるだけで実質はそうではなく党の方針に誤りはない」とするコミンフォルムへの反論「政治局所感」を出した。

続いて1月17日中国共産党の機関紙人民日報もコミンフォルムを支持して野坂に自己批判を要求。

干渉のなかで、当時の党書記長だった徳田球一と野坂参三らが分派を形成し、反対する幹部を排除して共産党を分裂させました。宮本顕治志賀義雄らの属した反主流派。徳田球一志田重男野坂参三らの属した派(所感派、主流派)に対抗した。

所感派は国際派に対する左遷措置として宮本顕治を九州に派遣。

6月にレッドパージで共産党幹部の公職追放命令が出され団体等規正令による出頭命令を拒否したことで逮捕状が出された団規令事件によって所感派は地下に潜行した。地下に潜行した所感派の徳田と野坂は9月に北京亡命して北京機関を創設した。

1949年第24回衆議院選挙でで35議席を得ましたが、分裂した側である徳田・野坂派が、干渉作戦に完全に組み込まれて武装闘争の方針を日本に持ち込んだ結果、党は国民の支持を失う大きな痛手をこうむる。1952年第25回衆議院選挙では議席ゼロに。

五五年に一定の団結を回復したあと、日本共産党は「五〇年問題」の自主的な総括をすすめ、第七回党大会で、武力闘争路線の誤りを明確にするとともに、いかなる外国勢力の干渉も許さない「自主独立」の立場を確立。、1961年第8回大会で綱領を決定。2004年第24回党大会で綱領改定。(2006年1月、第24回党大会決議案の用語解説等から)

ベトナム反戦統一戦線提起

北爆開始の翌年の1966年2月、日本共産党中央委員会は、ベトナム侵略反対の国際統一戦線の結成を願って、ベトナム、中国、朝鮮の三カ国の共産党、労働党と会談するために、大型の代表団を送ることになった。代表団は2月9日、福岡の若松港から、中国の貨物船「紅旗」号で上海にむかった。2月17日にハノイに入り、ホー・チ・ミン主席、レ・ズアン第一書記、チョン・チン政治局員らの歓迎宴、レ・ズアンを団長とする代表団との会談をおこない、10日間の滞在ののち、共同コミュニケに調印し、2月28日には北京に到着し。会談は3月3日から、劉少奇、鄧小平らと会談。3月11日に平壌に着き、21日に共同声明を発表して平壌を発って帰路上海に立ち寄り3月28日29日に毛沢東邸で会談をした。最初が1959年2月鄭州で、2度目が1964年秋杭州だった。第一回目のとき、毛沢東から思いもかけず、1950年の日本共産党の分裂時代にとった、中国共産党の態度が「誤っていた」ということばを聞き、私は毛沢東は大きな人物だという感じをいだいていた。ところが、北京会談を覆し、共同声明を発表することにはならなかった。3月28日という日は、毛沢東があの「文化大革命」の“引き金”となった有名な指示――「私は地方にむほんを呼びかけ、中央に進攻することを呼びかける。各地は多くの孫悟空を輩出させ、天宮に攻めいるべきだ」という指示を出した日と重なっていた

文化大革命

1966年5月16日、毛沢東主席が率いる中国の政権は全国民に対し、「労働者階級からの権力奪取を目論む資本家の一味」とみなされる人物を一掃するよう布告が発せられた。1958年から毛沢東が推し進めていた大規模建設、農業増産を目指した大躍進政策が行き詰まりを見せ、2000万人の餓死者と経済危機を生んだ。
社会党、自民党、公明党も池田大作が『中国の人間革命』などを出して毛沢東との親近性を自慢して礼賛。一貫して批判していたのは日本共産党だけだった。1976年9月9日0時10分、北京の中南海にある自宅において、毛沢東は党主席在任のまま82歳で死去。10月6日、文化大革命の主導者であった江青や張春橋らの四人組を華国鋒の指示で逮捕。文化大革命を事実上終結させ、1977年8月の第11回党大会において、1966年以来11年にわたった文化大革命の終結が宣言されている。
日本共産党創立95周年記念講演会で、不破氏は、「毛沢東思想」を旗印に、対外的な干渉攻撃を世界で手広くおこない、日本共産党を“主要な敵”の一つだと位置づけて、攻撃を集中した。内通者を動員して、全国に「ニセ共産党」の組織をつくり、それを日本共産党にとってかわらせる。こういう目的をもった干渉で、当時の国際運動の中でも、前例のない、まさに無法きわまる攻撃でした、と述べている。

日本のこえ

鈴木一蔵、1964年、党の方針に反して部分的核実験停止条約批准に志賀義雄とともに賛成の姿勢を示した。このため、同じく条約批准に賛成し、すでに5月15日の衆議院本会議での採決で賛成票を投じて党所属議員としての権利停止処分を受けていた衆議院議員志賀義雄と共に、同年5月21日の日本共産党第8回中央委員会総会で除名処分を受ける(翌5月22日発表)。同年5月25日の参議院本会議における部分的核実験停止条約批准の採決では賛成票を投じる。その後、志賀・神山茂夫中野重治らと「日本のこえ」を結成。

中国いいなりに党を脱落したのが、志賀に代わって衆院大阪1区の候補者になった西沢隆二(ぬやまひろし)でした。西沢は、66年8月の9大会6中総で、「毛沢東思想の旗を掲げるべき」と第10回党大会議案にひとり反対を表明。

善隣学生会館事件

1967年2月28日から同年3月2日にかけて、日本・東京都文京区にある善隣学生会館(現:日中友好会館)において、1966年の上海における毛沢東と宮本顕治の会談以降、その当時に日中友好運動とみなされていた様々な運動から遠ざかり、非協力的になった日本共産党配下の日中友好協会と、当時の中国政府や中国共産党の運動を支持していた在日華僑学生やその支援者などとの間で発生した流血事件である。略して善隣会館事件とも称される。日本共産党配下の日中友好協会側などは、この事件を日中友好協会本部襲撃事件と称している。

北京空港事件

1967年8月3日から8月4日にかけて、紅衛兵や日本人留学生らで構成された自称「日本人紅衛兵」らが、中華人民共和国より帰国しようとした紺野純一(『赤旗』北京特派員。『人民日報』の招待で駐在)、砂間一良(日本共産党中央委員、元衆議院議員。中国共産党中央委員会の招待で滞在)の両名を監禁し、集団で暴行を加えた。

2000年78周年記念講演 不破哲三から

中国共産党とは、干渉が始まってから三十二年後の一九九八年(1966~12998)に、中国の現在の指導部と関係を正常化しました。それに臨んだ中国側の態度には、私は、かつてのソ連に見られない誠実さがあったということを、ここで指摘しておきたいと思います。

いまの中国の指導部は、大多数が「文化大革命」の時代に迫害されていた人たちであります。ですから、日本への干渉には直接の責任はありません。そしてまた、干渉の事実も具体的にはあまりよく知っていません。しかし、中国側は、私たちの指摘に応じて過去の歴史もよく調べ、毛沢東時代に明確な干渉の誤りがあったことを率直に認め、それを総括して是正することを明らかにし、しかも、われわれと合意したその内容を、テレビ、新聞などを通じて天下に公表し、今後の活動の教訓にするという態度まで示しました。

一九七九年のソ連との関係正常化は、これとはまったく様子がちがっていました。

日中正常化に係る記者会見内容全文

両党関係正常化の合意について
記者会見、六月十一日
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1998年五月の下旬に、中国共産党中央委員会から、関係正常化についての両党会談を北京で開きたい、という提案がありました。日程を調整して、六月八日~十日に会談を開催することにし、八日から、日本側は、西口光国際部長が団長、中国側は戴東国中連部長が団長で会談が始まり、三日間にわたる協議の結果、十日に、両党関係の正常化についての合意が成立しました。
合意の内容は、次の通りです。
日本共産党と中国共産党との関係正常化についての合意
一、日本共産党の西口光書記局員・国際部長と中国共産党の戴東国中央委員・中央対外連絡部長は一九九八年六月八日から十日まで、北京で両党関係正常化のための会談をおこなった。日本共産党の山口富男幹部会委員・書記局員、平井潤一国際部嘱託ら、および中国共産党の李成仁中央対外連絡部副部長らが会談に出席した。
二、会談において双方は、両党関係の歴史を回顧し、日中友好の大局から出発し、過去を終わらせ未来を切り開く精神にしたがい、歴史の事実にもとづく誠実な態度をもって、両党関係正常化の問題について真剣に意見を交換し、共通の認識に達した。
三、中国側は、六〇年代の国際環境と中国の「文化大革命」などの影響を受け、両党関係において、党間関係の四原則、とくに内部問題相互不干渉の原則にあいいれないやり方をとったことについて真剣な総括と是正をおこなった。日本側は中国側の誠意ある態度を肯定的に評価した。
四、双方は今回の会談により、両党間に存在した歴史問題が基本的に解決されたことを確認し、日本共産党と中国共産党との関係の正常化を実現することに合意した。双方は、日本側が主張する自主独立、対等平等、内部問題の相互不干渉および中国側が主張する独立自主、完全平等、相互尊重、内部問題相互不干渉の基礎のうえに、両党間の友好交流を展開する。双方は、両党関係の発展が、日中両国国民の相互理解と友好の増進および日中両国の善隣友好関係の長期の、安定した、健全な発展の促進に積極的に貢献すると考える。
五、双方は、日本共産党中央委員会の不破哲三幹部会委員長が双方の都合のよい時期に訪中することについて協議し、合意した。

この合意は、日本側と中国側が同時発表しようという話になり、日本側では、十一日の東京時間午後四時半(北京時間午後三時半)、私が記者会見で発表しました。その時の、記者会見の内容は、次の通りです。
重大な歴史的意義をもつ今回の合意
北京でおこなわれた日本共産党と中国共産党の両党会談について、お話しします。合意の内容はお配りしたとおりです。
この合意の冒頭に書いてあるように、会談は日本側は西口国際部長、中国側は中央対外連絡部の戴秉国部長との間でおこなわれました。会談そのものは八日、九日、十日の三日間つづきました。きょうは、現地時間三時十五分、日本時間四時十五分から胡錦濤政治局常務委員(国家副主席)との会見が始まって、今はその最中です。中国側が同時発表したいということで、若干時間を調整して、いまの発表になりよした。
三十二年の歴史をふりかえって感慨無量
今回の会談で、三十二年来の歴史問題――「文化大革命」当時をめぐる問題を解決し、断絶という状態に終止符をうち両党関係を正常化することができました。合意の文面は簡潔なものですが、それだけの重大な内容が含まれており、大きな歴史的意義をもつものとなりました。
私は、三十二年前に北京や上海で当時の中国の指導部との首脳会談に参加し、また、それ以後干渉や攻撃を受けた経過の全体にかかわってきた者として、こういう結論をえて、両党関係が正常化したことに、特別な感慨があります。
干渉の背景になったのは「文化大革命」ですが、「文化大革命」が七〇年代に終結し、中国の国内問題としては一応解決されたあとも、問題が解決されず、ほぼ二十年にわたって不正常な状態がつづいてきました。私たちは、一貫して、干渉をめぐる歴史問題にけじめをつける、歴史問題を解決することが関係正常化の前提になるということを、一貫して主張してきました。今回の会談でこういう結論になったことは、私たちのこの立場が、歴史的にも政治的にも道理があったということを裏付けたものだと思います。
中国側の政治的な誠実さと政治的決断を高く評価する
振り返ってみますと、中国側では、この間に、毛沢東、劉少奇、鄧小平、彭真、周恩釆、朱徳、康生、廖承志、劉寧一など北京と上海の会談に参加した中央の幹部や、会談には参加しなかったが広州で私たちと交流した陶鋳など、当時の主だった関係者すべてが、それぞれの経緯のなかで、故人になりました。
ですから現在の党指導部や対外関係の部門の人たちのなかでは、過去の干渉の問題に直接責任があるという人はいないし、逆に「文革」の当時には中央から追われて地方にいたとか、抑圧される側に立っていたとかという人も多いわけです。
そういうなかで、中国側が今回の会談に当たってしめした政治的な誠実さと政治的な決断を、私は高く評価したいと思います。
干渉の指導原裡となった「四つの敵」論にもふみこむ
会談の中身ですが、合意の第二項にあるように、会談では双方が歴史問題で真剣な検討をおこないました。
「会談において双方は、両党関係の歴史を回顧し、日中友好の大局から出発し、過去を終わらせ未来を切り開く精神にしたがい、歴史の事実にもとづく誠実な態度をもって、両党関係正常化の問題について真剣に意見を交換し、共通の認識に達した」
私たちの認識はすでにくりかえし発表していますから、ここでの「共通の認識に達した」ということは、非常に深い意味をもっています。
実際に会談のなかでも、関係断絶の原因が中国側の誤った態度にあったこと、それが干渉の性格をもったものであったこと、そういう認識で双方が一致しました。
とくに中国側は、その誤りのなかでも、“われをもって一線を画し、日本共産党を両国人民の敵と扱った”こと―“われをもって一線を画し”というのは、中国の言葉で、自分たちが勝手に敵味方の境界線を引いて、勝手に両国人民の敵にしたということです ここに、誤りの中心的な問題があったということを、くりかえして言明しました。
これは、歴史の総括としても、非常に重要なことでした。
当時の中国からの干渉では、「四つの敵」というのが最大の旗印でした。アメリカ帝国主義とソ連の修正主義、日本共産党、日本の反動派 この四つが「中日両国人民の共通の敵」だという立場で、干渉と攻撃のすべてを合理化したわけです。文化交流でも「四つの敵」、貿易の上でも「四つの敵」、日中の友好でも「四つの敵」、これを認めないと交流しないということを全分野でやったのです。
この「四つの敵」論は、毛沢東が六六年の七月にいい出したことです。それが、「文革」の対日版ともいうべき日本への干渉の指導原理になったのです。
今回、中国側もそうした歴史をよく調べて、その一番の核心のところをとりだし、誤りの中心的な内容として、この問題を繰り返しとりあげました。
認識だけでなく「真剣な総括と是正」を表明
―反党グループ問題の解決でも合意
そういう認識が第三項にはこういうかたちで表現されています。
「中国側は、六〇年代の国際環境と中国の『文化大革命』などの影響を受け、両党かんけいにおいて、党間関係の四原則、とくに内部問題相互不干渉の原則にあいいれないやり方をとったことについて真剣な総括と是正をおこなった。日本側は中国側の誠意ある態度を肯定的に評価した」
この文章にもう少し解説をくわえますと、ここで「相互不干渉の原則にあいいれないやり方」といっているのは、干渉だったということです。
そして、そういう誤りをおかしたという「認識」と同時に、中国側が「真剣な総括と是正をおこなった」と明記していることが重要な点です。
われわれは、前からのべているように、この、三十余年の間の世代交代や指導部の変化などを知っていますから、われわれは謝罪を求めるのではない。過去の干渉についての認識の一致がないと、これからの両党関係が安定しない、そういう点で認識を求めているのだという態度を表明してきました。今回の会談で中国側は、認識だけにとどめないで、「真剣な総括と是正」というより立ち入った態度を表明したわけです。干渉当時につくられた反日本共産党の組織、いわゆる反党グルーブと関係をもたないという問題でも、中国側はそれに同意し、そのことが「真剣な総括と是正」の中に含まれているということを、確認しました。
歴史問題をここまでふみこんだ総括は前例がない
これまで、中国側がヨーロッパの党などとの間で「文革」当時の断絶状態を清算して関係回復した例は、数多くあります。ただ、ここまで踏み込んで中国側が歴史的な反省 「総括と是正を明らかにしたという前例は、一つもないのです。たとえば、あるヨーロッパの党の指導者が、中国を訪問して関係改善したときの合言葉も、「お互いに過去を忘れよう」でした。過去に触れないで、過去を忘れて前に進もうといったんです。
しかし、私たちとの関係では、断絶にいたった歴史も違いますが、歴史の問題をお互いに真剣にふりかえり、そこから何が間違いだったか明らかにし、その総括に立って未来を開く、そういう態度を中国側もとったために認識の一致とあわせて今後の問題で一致ができました。
昨年から今回の会談にいたる双方のいろんな発言や接触があり、私自身もその過程で中国の対外連絡部の幹部と話し合った経過があります。今回の結論は双方のそういう努カが実ったものといえますが、とくに中国側が、今回の会談で、そこまで踏み込んだ政治的決断をおこなったことは、高く評価できることです。私が冒頭に中国側の政治的誠実さと決断を評価するといったのは、ここに中心があります。
そういう評価に立って、私たちは、この会談をもって両党間の歴史的な問題は基本的に解決されたことを確認し、両党関係を正常化することに合意しました。
中国の政権党と日本の革新野党との関係
次に、今後の関係の問題です。両党の関係は、イデオロギー的な共通性とか、路線的な共通性にたっての関係ではありません。中国の政権党と日本の革新野党との関係だとみてもらえばいちばん適切だと思います。
両者の間には、路線の問題、考え方の問題でいえば、意見や立場の違いは、当然いろいろあります。たとえば天安門事件の評価など、これを批判するわれわれの態度は明確ですが、中国の党は、今日でも、表現はいろいろ変わってきていますが、それを正当化する態度をとっています。
そういうなかで、両党間が正常な関係を確立する。この場合、この関係の基礎に何を置くかということに、なかなか大事な独自の問題があります。党と党の関係について、それぞれの党の方針があるからです。
中国が、過去の誤りを反省するのに「四原則」とあいいれないやり方という表現をしていることは、さきほど紹介しましたが、中国の党は、今、日本のいろんな政党とも、外国の政党とも、「四原則」を基礎にして、党間の関係を結ぶということを方針としています。
われわれは、日本共産党しとして、「自主独立、対等平等、内部問題相互不干渉」の方針を、政党間の関係の原則として一貫して主張しています。
この問題の大事なところは、どちらか一方の定式を採用することをしない、日本側は「三原則」を主張し、中国側は「四原則」を主張し、それぞれその原則を基礎にして両党関係を結ぶということを、いわば対等平等の形でうたいました。これは新しいことだし、大事なことです。
というのは、表現がかなり似ているようでも、どちらか一方の定式を確認したりすると、それらの原則の「解釈」を一方がもって、解釈が変化すれば客観性がなくなるということにもなる。そういう点で、双方がそれぞれの関係の原則を、対等平等にうたうことにしました。
「相互不干渉」を――歴史の教訓をふまえた大原則
そこには、重要な共通点があります。一番の共通点は、自主独立と対等平等という原則と、内部問題相互不干渉という原則、とりわけ干渉の誤りを犯さない、繰り返さないということ、これが歴史の教訓を踏まえた大原則です。
中国側も、会談のなかで、「四原則のなかで、独立自主が基礎で、内部問題相互不干渉が核心だ」という表明をしました。三十数年来の歴史の教訓から、内部問題相互不干渉ということをはっきり踏まえて関係を結んだというのが、大事な点です。
われわれは両党関係を今後発展させますが、そのなかには、いろいろな形態での、またいろんな分野での交流もあります。また双方が一致する問題での協カもあります。これはこれからの展開の問題です。
なお、その場合、国際的に重大な意味をもつ事件・問題が起きて、それに中国の党がかかわっているという場合がありえます。相互不干渉の原則で関係を結ぶんだから、われわれは物をいわないのかというと、そうではありません。マスコミのみなさんに意見をきかれて、答えないというわけにはゆきませんから、こういう性格の問題については、独自の立場から意見をのべることは当然あるということを、会談のなかでも相手側にきちんと話してあります。中国側もそのことをきちんと了解しています。
両党関係確立の意味は、党だけの問題にとどまらない
この合意のなかで、両党関係の正常化の意義を、党だけの問題にとどめない形でのべていることも、お互いの確認として大事な意味があると思います。この「両党関係の発展が、日中両国国民の相互理解と友好の増進および日中両国の善隣友好協力関係の長期の、安定した、健全な発展の促進に積極的に貢献すると考える」書いてある点です。
私たちとしては、両党関係の正常化、関係の確立を、党だけの問題にとどめることなく、日本と中国の国民の間のし,かりした友好関係を安定した方向ですすめるための一つの力にしてゆくつもりです。
また、私たちは、昨年の第二十一回党大会で、アジアと世界の平和をめざす外交活動、とくにアジア外交を重視するどいう方針を決定しました。核兵器の廃絶という問題をはじめ、大会決定にそった外交活動を展開するうえでも、中国共産党との関係正常化を大きな意味を持つものにしたいと考えています。
不破委員長の訪中と両党首脳会談の時期について
最後に、両党の首脳会談の問題ですけど、九月の江沢民主席の訪日の前に、私が訪中して、北京で両党首脳会談をやるということは、双方で合意しています。
日程については、「双方の都合がよい時期」と書いてありますが、中国側が提起したのは、七月の後半から八月の前半にかけての範囲内で調整したいという提案でした。日本側からは、参院選後の国会の問題もあるので、七月後半がべターだという提起をしています。
中国側は、江沢民総書記が党の総書記と同時に国の主席を兼ねていて、かなり先々まで日程が決まっている状況だから、これから協議して提案し、いろんな決裁をへるという詰めにはちょっと時間がかかる、といっていました。われわれも、日程の問題が単純ではないことはわかっていますから、七月後半で調整できない場合には、八月前半もありうると考えています。この問題は、今後、弾カ的に折衝してゆくつもりです。
両党首脳会談で何を話すかという問題ですけど、だいたいそういう会談の場合には、「双方の関心のある諸問題」ということになるのが常道です。しかし、今度の首脳会談は三十二年ぶりということだけではなしに、現在のそれぞれの党指導部としては、初めての会談になるわけですから、両党関係と両国の関係、その現在と前途の問題、アジアと世界の問題など、広い問題について立ち入って話し合いをしたいと、考えています。
以上が、関係正常化の合意の内容です。
(「しんぶん赤旗」一九九八年六月十二日付)

2019年11月4日27回大会8中総抜粋

綱領第八節――「社会主義をめざす新しい探究が開始……」の削除を提案する
二〇〇四年の綱領改定における判断には合理的根拠があった
次に現綱領の第八節について報告します。

現綱領の第八節は、「社会主義の流れの総括と現状」を主題にした節ですが、大きな改定が必要になりました。

その最大の問題点は、現綱領が、中国、ベトナム、キューバについて、「社会主義をめざす新しい探究が開始」され、「人口が一三億を超える大きな地域での発展として、二一世紀の世界史の重要な流れの一つとなろうとしている」と規定していることです。

〈判断の基準にした立場について〉
二〇〇四年の綱領改定のさい、わが党は、こうした評価を、私たち自身の自主的判断として行いました。その判断の基準としたのは次のような立場であります。二〇一四年の第二六回党大会への中央委員会報告を紹介したいと思います。

「私たちは、中国、ベトナムなどの現状を評価する場合に、何よりも重要になるのは、それぞれの国の指導勢力が社会主義の事業に対して真剣さ、誠実さをもっているかどうかにあると考えています。

ただし、私たちは、中国やベトナムの国のなかに住んでいるわけではありませんから、これらの国の指導勢力の真剣さや誠実さをはかる基準としては、対外的な関係――外部にあらわれた事実を評価するしかありません。つまり、私たちが対外的にこういう国ぐにの指導勢力と接して、私たち自身が判断するしかありません。あるいは、これらの国ぐにが現実にとっている対外路線を分析して判断するしかありません」

〈中国について綱領でのべている判断をもつにいたった経過〉
こうした基準にてらし、私たちが、二〇〇四年の綱領改定当時、「社会主義をめざす新しい探究が開始」されていると判断したことには、合理的根拠がありました。

中国についていえば、私たちが綱領でのべているような判断をもつにいたったのは、一九九八年の日中両共産党の関係正常化と、それ以降の数年間の一連の体験にもとづくものでした。とくに、九八年の関係正常化のさい、当時の中国指導部が、毛沢東時代の覇権主義的干渉の誤りを率直に認め、「真剣な総括と是正」を公式に表明したことは、「社会主義の事業に対する真剣さ、誠実さ」を強く感じさせる出来事でした。二〇〇三年のイラク戦争に反対を貫いたことも、中国に対する肯定的評価を形成する体験となりました。現綱領の規定は、そうした経験と認識にもとづくものでした。

〈国際的な性格をもつ問題点については、節々で直接に伝えてきた〉
同時に、現綱領では、「社会主義をめざす新しい探究が開始」されたというのは、これらの国ぐにの方向性についての認識・判断であって、その国で起こっているすべてを肯定するものではないことを、「政治上・経済上の未解決の問題を残しながらも」というただし書きで明確にしています。また、わが党は、これらの国ぐにの将来について、楽観的、固定的に見ているわけではないことを、くりかえし表明してきました。わが党は、この立場から、中国に対しても、内政不干渉の原則を守りつつ、国際的な性格をもつ問題点については、節々でわが党の見解を直接に伝えてきました。

中国の国際政治における問題点――前大会での批判と、この三年間の動き
〈第二七回党大会で「新しい大国主義・覇権主義の誤り」を具体的に指摘〉
この数年来、中国の国際政治における動向に、綱領の認識にかかわるような、見過ごすことのできない問題点があらわれてきました。

二〇一七年一月に開催した第二七回党大会では、今日の中国に、「新しい大国主義・覇権主義の誤り」があらわれていることを、核兵器問題での深刻な変質、東シナ海と南シナ海での力による現状変更をめざす動き、国際会議の民主的運営をふみにじる覇権主義的なふるまい、日中両党で確認してきた原則に相いれない態度――の四点にわたって具体的に指摘しました。そして、こうした誤りが今後も続き、拡大するなら、「社会主義の道から決定的に踏み外す危険」が現実のものになりかねないことを警告するとともに、「誤りを真剣に是正し、国際社会の信頼をえる大道に立つことを求める」と表明しました。

〈この三年間、中国は問題点をいっそう深刻にする行動をとっている〉
前大会から三年間、中国は、残念ながら、これらの問題点を是正するどころか、いっそう深刻にする行動をとっていると判断せざるをえません。

――第一に、核兵器問題での変質がいっそう深刻になっています。

中国は、核兵器保有五大国(P5)の一員として核兵器禁止条約への敵対の立場をとってきました。中国は、昨年七月に、「P5プロセス」の調整役を引き受け、核兵器禁止条約反対・発効阻止の立場をとり、「核兵器のない世界」をめざす動きへの妨害者としての姿をあらわにしています。他の核保有大国と競争しつつ核兵器の近代化・増強を進めていることも重大であります。

――第二に、東シナ海と南シナ海での覇権主義的行動も深刻化しています。

中国公船による尖閣諸島の領海侵入、接続水域入域が激増・常態化しています。昨年(二〇一八年)、日中首脳が相互往来し、両国首脳が、日中関係について、「正常な発展の軌道に戻すことができた」と評価しました。にもかかわらずその後、領海侵犯、接続水域入域は、今年に入って大きく増えています。両国関係の「正常化」を喧伝(けんでん)しながら、領海侵犯を常態化させるというのは、きわめて不誠実な態度だといわなければなりません。中国側にどんな言い分があろうと、他国が実効支配している地域に対して、力によって現状変更を迫ることは、国連憲章および友好関係原則宣言などが定めた紛争の平和的解決の諸原則に反するものであり、強く抗議し、是正を求めるものであります。

南シナ海について、中国は、二〇一四年以降、大規模な人工島建設、爆撃機も離着陸できる滑走路、レーダー施設や長距離地対空ミサイルの格納庫、兵舎などの建設を進めてきました。中国政府は、当初は、「軍事化を進める意図はない」とのべていましたが、今では「防衛施設を配備するのは極めて正常であり、中国の主権の範囲内」と、公然と軍事拠点化を正当化し、軍事的支配を強化しています。二〇一六年、仲裁裁判所の裁定が、南シナ海水域における中国の権利主張を退け、力による現状変更を国際法違反と断じたにもかかわらず、これを一切無視して軍事化を進める傍若無人な態度は、国連憲章と国際法の普遍的に承認された原則にてらして許されるものではありません。

――第三に、国際会議の民主的運営をふみにじる横暴なふるまい、日中両党で確認された原則に背く行動についても、それを是正する態度はとられませんでした。第二七回党大会決議では、二〇一六年、マレーシアのクアラルンプールで開催されたアジア政党国際会議(ICAPP)総会で、中国共産党代表団が、同会議の宣言起草委員会が全員一致で確認した内容――核兵器禁止条約の速やかな交渉開始の呼びかけ――を、最後になって一方的に覆すという覇権主義的ふるまいをとったこと、この問題をめぐるわが党代表団との協議のなかで「覇権主義」という悪罵を投げつける態度をとったことを厳しく批判しました。

前党大会直前の二〇一七年一月十二日、私は、中国共産党中央委員会の指示で党本部を訪れた程永華中国大使(当時)の求めで会談を行いました。この会談の内容について、多少ふみ込んで明らかにしておきたいと思います。会談のなかで、大使は、わが党の決議案がのべた「新しい大国主義・覇権主義」など中国に対する批判的内容の削除を求めました。私は、それをきっぱり拒否し、なぜわが党がそうした表明をするのかを全面的かつ詳細にのべ、中国側に誤りの是正を求めるとともに、わが党の立場を中国共産党指導部に伝えるよう要請しました。

さらに私は、会談のなかで、「中国共産党代表団がアジア政党国際会議でとったふるまいを、中国共産党中央委員会として是とするのか、非とするのか。本国に問い合わせ、回答を持ってきてほしい」と求めました。大使は「北京に報告する」と答えました。しかし、この三年間、中国共産党からは何らの回答もありませんでした。これらの経過にてらして、わが党は、クアラルンプールで中国共産党代表団がとった覇権主義的ふるまいの問題は、中国共産党中央委員会自身の問題だとみなさざるをえません。そこに、「社会主義の事業への誠実さ、真剣さ」を見いだすことはできません。

――第四に、これらの諸問題にくわえて、人権問題が深刻化しています。

香港で、今年六月に、自由と民主主義を求める、全体として平和的な大規模デモが起こった当初から、中国政府は「組織的暴動」と非難し、これへの抑圧的措置をとる香港政府に全面的な支持を与えてきました。警察による実弾発砲によって負傷者が出たさいにも、それを正当化する態度をとりました。深?に武装警察部隊を展開させ、武力による威嚇を行いました。わが党は、デモ参加者が、いかなる形態であれ暴力をきびしく自制し、平和的方法で意見を表明することが大切だと考えます。同時に、表現の自由と平和的集会の権利は、国際的な人権保障の基準でも明確に認められている権利であり、香港政府による抑圧的措置、およびそれを全面的に支持し、武力による威嚇を行った中国政府の対応に反対します。「一国二制度」のもと、事態が平和的な話し合いで解決されることを強く望むものです。

さらに、最近、ウイグル自治区で、大規模な恣意(しい)的勾留、人権弾圧が中国当局によって行われていることを深く憂慮しています。国連の人種差別撤廃委員会は、昨年九月、中国に関する総括所見を発表し、多数のウイグル人やムスリム系住民が法的手続きなしに長期にわたって強制収容されて「再教育」が行われていることなどについて、「切実な懸念」を表明しました。ウイグルにおける人権問題も重大な国際問題となっており、わが党は中国当局に対し人権抑圧の中止を強く求めるものです。

〈「社会主義をめざす新しい探究が開始」された国と判断する根拠は、もはやなくなった〉
以上のべた中国の行動は、どれも、社会主義の原則や理念と両立しえないものといわなければなりません。中国について、わが党が、「社会主義をめざす新しい探究が開始」された国と判断する根拠は、もはやなくなりました。

以上を踏まえて、綱領第八節の「今日、重要なことは、資本主義から離脱したいくつかの国ぐにで、……社会主義をめざす新しい探究が開始され、人口が一三億を超える大きな地域での発展として、二一世紀の世界史の重要な流れの一つとなろうとしていることである」との規定の全体を削除することを提案するものです。

2020年1月16~19日、日本共産党第28回大会

中国を社会主義を目指す国であるという位置づけをしていましたが、核兵器をめぐる国際問題での覇権主義、国内民主主義問題を理由に、関連部分(中国が社会主義を目指している国かどうかにかかる規定の問題)を削除。

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